
もうネットではかなり騒がれていますが、格闘ゲームのプロ、梅原さんが2017年1月19日に講演した内容が、ゲームの枠を超え、多くの人にヒントを与える示唆深いものとなっています。
これはもはや伝説の講義といっていいかもしれません。
たくさんの人の目に触れてほしいと思いましたので、ここに文字起こしした内容を紹介します。
講演は質疑応答まで含めて2時間あり、1秒たりともカットできるような内容がないほど素晴らしいものでしたので、最後まで原文に忠実に起こしました。
読みやすさを考え、繰り返しを避けるなど、言い換えた部分がわずかにあります。
なるべく原文がそのまま伝わるようには努めましたが、ご理解いただけると幸いです。
なお、各段落のタイトルや演題「それは自分で決めたことなのか」は私が勝手につけました。
本当の演題は「1日ひとつ強くなる」ですが、冒頭すぐに梅原さんがこの演題を変更した旨をお話しています。
では本講演の真の演題はなにか。そう思って個人的見解で勝手につけました。
文末に公式の講演動画をつけています。
出来ればウメハラさんの表情、それはごく機微なものですが、そこで伝わる言外のメッセージもきっとあると思います。
動画を見ていただくのが最もよく伝わると思いますので、ぜひ、ここで感銘を受けたならば公式の動画も視聴していただけると幸いです。
梅原講演「それは自分で決めたことなのか」
初めまして。梅原大吾と言います。格闘ゲームのプロゲーマーです。
ここに来る前は全然緊張していなかったんですが、会場に来てみると何だか場違い感がすごくて、急に緊張してきました(笑)
今日の講演のタイトル「1日一つだけ強くなる」、これは自分の著書などでも言ってきた、勝負の世界で長く勝ち続けるための
方法論なんですが、実は直前で話したい内容を変えたくなりまして、無理を言って講演の内容を変えました。
だから、今日のお話はこのタイトル、全然関係ないです。
先ほど、いろんな肩書を紹介してくださって、それを聞いていると何だか結構立派な気がしてくるんですが、
まぁただずっとゲームやってきただけで、こうやっていきなり話の中身を変えちゃうような人種がプロゲーマーです(笑)
なので皆さんあまり期待せずに楽しんでいただけたら、と思います。
今日はよろしくお願いします。
いつもはこういった講演では成果を出す方法だとか、長く勝ち続ける方法だとかのコツやノウハウなんかを丁寧に話すんですが、
今日ここに集まっていただいた皆さんの仕事や役職などを見て、改めてそういう話にしないで良かったな、と思いました。
というのは、もうここにいる皆さんはそうしたノウハウは知っている。僕なんかがそれを話したところで「そんなのもう知ってるよ」と
言われるだけだと思うので、それなら僕が話す意味のあることを話した方がいいだろうなと。
今日は「自分の意志と自分の価値観で物事を決断する」ということをメインにお話したいと思っています。
このことを共感してもらうには、自分がどういう人生を送り、どういう経緯でプロゲーマーになったか、そして
プロゲーマーになってからどんな過ごし方をしてこの考え方に至ったのかをお話しないといけないだろうと思いますので、
まずはそこから話していきたいと思います。
その前にひとつ確認しておきたいことがあるんですが、プロゲーマーってどういう仕事かわかる人いますか?
…半分もいないくらいですね
では、格闘ゲームやったことない人ってどれくらいいますか?
…わ、結構いる(苦笑)。これが怖かったんですが
では、簡単に説明しますね。
格闘ゲームって言ってみればケンカですね。1対1のケンカのゲームです。
レースとかスポーツとか色んなゲームがありますが、僕はその中で格闘ゲームしかうまくありません。
プロゲーマーというのは、これは定義はこれから変わっていくかもしれません。
2010年に僕が日本人で初のプロゲーマーになってからまだ7年ですから歴史の浅い業界です。
もっと発展すればプロ連盟やプロ試験なんてものもできるかもしれませんが、今のところは
目立っていたから企業に目をつけられてスポンサードされた、というのがプロゲーマーです。
その日本人初のプロゲーマーにどうやって僕がなったか、を話していきたいと思います。
0%の可能性
よくインタビュアーの人なんかに「いつ頃からプロゲーマー目指してたんですか?」なんて聞かれるんですが、
これはまぁあまり詳しくない人だから仕方ないんだけど「的外れ」な質問なんですよ。
僕はプロゲーマーになる直前まで「ゲームで飯が食える」なんて思ってもいなかった。
体を動かすわけでもなく、不健康そうなイメージもあるし、それが職業になるわけないだろってのが常識でしたね
始めて格闘ゲームに触れたのは11歳の頃でした。
当時は今と違って、ゲームセンターに置かれたゲームの方が家庭用ゲームより
圧倒的に性能が良くて、こんなにリアルでこんなにキャラクターがしゃべってすげえなって思った。
ゲームセンターに行くことは親や学校から止められていたけど、ゲームはゲーセンだけにとどまらず、近所のレンタルビデオショップにも
置かれるようになった。
親の目を盗んで、もらったお金を「本を買う」なんて言ってウソついてゲームやってました
そのうち、これだけ時間を費やしていると、だんだん大人にも勝てるようになってくるわけですよ。
それで電車で少し遠くの町まで繰り出して地元よりもっと強い人たちが集まる場所へ行きました。
その時も強い子供がいるということで少しずつその世界で有名になっていったんですが、まだまだ強い大人には勝てない、というぐらいのものだった。
しかし1年もたつと、本当に誰にも負けなくなってしまって、「お前は日本1強いんじゃないか」と言われるようになった。
自分でももしかして「俺は本当に日本1強いんじゃないか」なんて思うようになっていった。
さらに翌年、僕が15の頃、メーカー公認の全国大会がありまして、そこで優勝するんですね。
とうとう名実ともに「日本1」になってしまいました。
それからも勝ちまくりました。とにかく10代の頃は勝ちまくった。まだ今より全体のレベルが低かったし、
(都会に住んでいるなど)情報格差もあり、若さもあったのか、とにかく色んな要因が重なって勝ちまくった。
しかしそれとは逆に現実は悲惨なことになっていきましたね。
これ言うと意外に思われること多いんですが、8歳で青森から東京に越してきて、ゲームにハマるまでの間、
僕はずっとクラスのリーダーだったんですよ。話をするのも好きだったし、その当時は体が大きい方で、力も強く
自然とクラスのまとめ役でした。
しかし、13歳になった頃、いよいよ電車やバスに乗ってゲームセンターに行く僕を見て周りは「いよいよ梅がおかしくなっちまった」
「あいつオタクになったぞ」ということでだんだん周りが離れていくようになった。
学校に行けば好きな音楽や流行っているドラマ、受験の話題なんかでいっぱいだけど、自分はどれも一切興味がなかったから
さすがに話があわなくなってくる。
いくら好きなことをやっているからとは言え、その状態は寂しかったですね。
だから面白くもないのに、無理やり流行ってるドラマを見たり、音楽を聴いたりしたこともあった。
でもやっぱりちっとも面白くないし、こんなことしてまで人と仲良くしなきゃいけないのかな、と、まだ若いから答えは出せないながら
ゲーセンに行っていました。
ではそこまでして、ゲームセンターが魅力的だったのか。ゲームが魅力だったのか、と言われると
確かに格闘ゲームは面白かったというのもあるんですが、当時は秋葉原のゲーセンに言っていたんですけど、その場にいる人たちがすごく魅力的に映ったんですよね。
学校では好きな音楽は?って聞かれて流行りのアーティストを答えると仲間に入れてもらえる。
ところがゲーセンでそれを言うと怒られるんです。
「本当かよ?それお前が本当に好きなもんじゃねえだろ。周りに合わせてるだけだろ。
お前の意見なんなんだ。お前の本当に好きなもの教えろ」って。
そうか、この空間では好きなことを正直に言ってもいいんだ。なんて居心地がいいんだろうと。
どんなことでも思っていることを云えば「なかなか面白いやつだな」と褒められる。
ありのままの僕を認めてくれる仲間がいるこのコミュニティに属しているのが好きで、ゲーセンに行っていたんですね。
それからも僕は勝ち続けました。
こと格闘ゲームに関しては最前線と言ってよかったと思います。
ところが22の時に転機が訪れる。(続く)