前回ウメハラ講演録②の続きからです
走馬灯
周りにはそれまで強がって言ってたんですよ。十分な時間が取れないんなら格闘ゲームなんてするべきじゃないって。
周りからは「そんなに格闘ゲーム強くなって何になるんだ」って言われてました。
それでもちょっと期待があったんです。
ゲームとは言え、人と人の勝負だから、ずっと勝ってりゃ誰か注目してくれないかなって。
甘い期待が。
22まで待ってはみたんですが、そんなことは結局起きずに諦めて、27になって出会ってみても、もちろんゲーム業界にそんな動きはない。
だからまたゲーム始めるにしても、そんな甘い期待はせずにゲームをやらなきゃいけない。
それでも、何も取り柄がないまま生きていくよりは、ゲームやってもいいかなって、それから3,4年経った後にゲーム始めるんです。
で、こっちとしてはもう気楽に趣味として格闘ゲーム楽しんでるつもりだったんです。いち介護職員が気ままに格ゲーを楽しんでるって感じで。しかし周りから見たらどうもそうは見えなかったみたいなんですね。
以前あれだけ国内、世界でも勝ってましたから。
あれだけ色んな大会で優勝した男が辞めるなんてどうしたんだ?って。
特に海外では騒ぎになってたらしく死亡説まで流れていたそうです。
その梅原がストリートファイター4で「復活」したらしいと。インターネットを通じて噂になった。
そしたらアメリカの国際大会に招待されたんです。
はじめは「えー?面倒くせえな」って思いました。そんなに真剣にもやってませんでしたしね。
でも、自分がこの先生きていく中で、海外に招待されるなんてことあるだろうか?いや絶対ないぞ。
それならありがてえから行ってみるか?って言って、招待を受けることにしたんです。
そしたら人生って面白いもんですね。優勝しました。
あいつ辞めてたと思ったらまた世界大会で優勝しちまったぞ、と周りがたいそう盛り上がったんですね。
その時、僕の最初のスポンサーになってくれたゲーム機器メーカーの「マッドキャッツ」という会社が
その様子を見ていて「辞めたと思ったら久しぶりに戻ってきて優勝。やはりウメハラは只者じゃない」と。
ただ、辞めていた理由を、生活の保護がないから、という事も噂で聞きつけていて
「あなたがそんな理由でゲームをやめることはこの業界にとってもよくない。
よかったら金銭的支援をするから思いっきりゲームをやってみないか」
と言われたんです。
これには驚きましたねえ。
正直にいやあ飛びつきたくて仕方ない話でしたよ。
だって子供のころ、クラスの友達からさんざん「ゲームなんかやって何になんだよ」って言われるし、
バイト先でも仲間から「梅原さん休日何やってるんですかと聞かれたら「え、映画見てます」ってウソをいう。
休日どころか平日からこっちゃゲームしかやってねえって話なんですけど。
世間の人たちもそういう目で見ますよね。
なんかよくわかんねえお兄ちゃんだなって。
そういうことが全部帳消しになるんじゃないかって。
おれゲームやってきたことが報われるんじゃないかって。
そんな気になりました。最初はね。
飛びつきたい気持ちでいっぱいになった。しかし…
そこでまた、人間ってそんな単純じゃないですね。
長年の苦労みたいなものが頭をよぎって
お前そう言ってゲーム何年やってきたんだ?
雨の日も風の日も台風の日も…
台風の日もゲーセン行ってたんですよ
台風の日なんか人いないですからね。
じゃあ何のために行くんだって話ですけど。
台風の日に俺のほかに誰かがゲームセンターにいたら、何だか負けた気がして。
そうやって何年も何年もやってきたけど、結局報われずに。
麻雀ならプロがあるからそっちなら打ち込めば報われるんじゃないかと飛び込んだけど、
やっぱりそっちのほうも色んな理由で辞めるんですよ。
おれ自分では勝負に向いていると思ってたけど、向いてなかったんだなって。
だからそうやって「久しぶりに戻ってきた奴が優勝した」なんて、一時的な盛り上がりや興奮で
「お前プロとしてやってみないか」って言われても「いや、こっちは人生かかってんだよ」って。
もうそんなことはこれまで散々期待して期待して裏切られ続けた業界に今更プロなんて無理でしょう、て
断ったんですよ。
ただ、相手も結構粘り強く誘ってくれましたね。
「いや、絶対大丈夫だから。やってみよう!」って。
それでまた真剣に考え始めました。
で、結局考えたんですよ。進む道は二つ。結果は4通りありますね。
プロになって成功する、失敗する。普通の生活を送って成功する、失敗する。
で、そこで思ったんですよ。おれプロになって失敗したとして、後悔するかな。
それはしないような気がする。
逆に普通の生活を送って、まぁ安定なのかもしれないし、世間の人はそれで立派と思ってくれるかもしれないけど、おれの中ではきっとくすぶった思いを持ち続けるだろうな。
唯一、自分の得意なもので勝負しないで生きていく後悔を背負い続けるだろうなって。
世間の目とは、これは全然別に、おれがそれをいいと思わない。
これだけは簡単に想像がついたんですよ。
そういう思考の経緯を経て決断しました。それが2010年ですね。(つづく)