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格ゲー 環境との戦い

ツイッターに書こうかと思ったけど字数が足りないのでブログ化

考えたこと
俺の鉄拳ははっきり言って環境への挑戦という意味を最初から帯びていた

ある意味、2クレも仲間もいない地方にいて家庭用がない今こそが人と違う自分を感じられる時間のような気さえする

そうすると思ったことがある

みんな、世の中の数ある統一基準を通過するために勉強したりトレーニングしたり様々な努力をするだろう
資格試験、大学受験、選挙、部活、スポーツのトライアウト、就職試験

これらの人生決定で大きな成否の要因になるのが「環境」だ

例えば親族や親の友人関係などに恵まれ、私立の幼稚園に入り、そこから流れるように偏差値の高い大学まで入った人がいるとしよう

これは確かに本人の努力がなければいつでも落伍するリスクがあるとしても、ある日全く周りが受験勉強などやってないところで、同じ大学を目指すのでは難易度に雲泥の差がある

どう頑張ればいいかわからない人と、これこれを毎日やってないと許されないという環境にいるものではどちらがその基準を通過しやすいか

だからライザップという高額なダイエット塾が生まれる

あの高額さはある意味で、人の環境というのはこれだけの差が生まれつき、あるいは選択の道程で生まれた「環境代」を金額として可視化した代と言ってもいい

美貌格差という言葉も生まれてきた

けしてライザップの回し者ではないが、あの金額はそうやって出来てしまった環境格差、いやそれより安いのかもしれない

少し話を本題に近づける

格ゲー界で有名な「ヌキ」選手はニコニコ生放送でこんなことを言っていた

「初めて大会に出た時、どんな強い奴らが全国にいるんだろうと思ってたら、何の危なげもなく優勝してしまった。俺らが毎日やってた対戦環境って実は日本一だったのかよ」と

つまり環境というのは平たく言って引力に従ってリンゴが落下する如きに近いとすら言える

一方、環境に逆らってその目的地に行くというのは、その個体が持つ推進力そのものだ

物理の世界では引力に招かれる動きは、エネルギーを使用しないと定義される

一方で引力に逆らう動きでその基準点へと移動することを「仕事」という

これは物理学ならではの表現だから現実の生活用語と比べると違和感があるのは確かだが、環境でそれだけの違いがある

もちろんヌキ選手が努力しなかったら日本一には絶対なれないに違いない

しかしここで言いたいのは引力のない環境で100の努力をして地方一になることと、引力のある環境で100の努力をして全国一になるということは実質、その体に同じ推進力を培ったと同じことではないかということだ

もしその身にヌキ選手が全国一になるのと同じ推進力を持っているなら、いつか自分の周りに引力がある磁場で基準を目指す時にその100の推進力を思い出して使えば、その分野の日本一になれる可能性だってある

これは色々と応用できる考え方じゃないかと思う

学歴で悩んでいる人は考えてみるといい

例えば東大に行った人はたまたま引力のある場があったかもしれない

しかしその中でも推進力はゼロで届くほどの引力はあり得ないから彼なりに例えば100ぐらいの推進力を出したのである 

翻って考えれば自分は自分の環境の中で100の推進力を出した経験があるかどうか

環境が整わない中で通った大学や学校が例え東大と偏差値は比べるべくもなかったとしても、環境の支援がない中で推進力100を出したと言えるなら実質それは東大に通ったことと同じなのだ

もちろん推進力を出した自信だけあっても仕方ない

どこかで環境が整った時にきっちり世間的に価値あるものを掴む「結果」は目指さないとこれらは負け惜しみになってしまう

しかし今ここまで自分が鉄拳を命かけてやる理由は結局のところここにある

もし環境が整えば鉄拳でもいいし鉄拳じゃなくてもいい

その分野の「ノビ」になるためなんだ

実ってくれ俺の鉄拳。

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